武陽ラガークラブ−兵庫県立兵庫高等学校ラグビー部OB会

武陽ラガークラブは、兵庫県立兵庫高等学校(兵庫高校)ラグビー部OB会の名称です。武陽ラガークラブ公式ホームページでは、会員の交流と現役選手達を支援するための活動を行っています。

終戦後復活

 終戦を迎え、いち早く復活したのはラグビー部だった。復員してきた小川潤二(29陽会)が小川先生仕込みのスパルタ教育でチームをまとめあげた。食糧はもちろん、物資が極度に不足していた時代、先輩はこれらを捻出し、戦後初の夏合宿はすべて丸抱えで志筑で実施させた。グラウンドには現役以上の先輩たちが集まり、現役を鍛え上げた。大会出場のため、スパイクやユニフォームまで寄贈してくれた。その甲斐あって、第1回国体(昭和22年11月1日)で西日本代表の神戸二中が東日本代表の秋田工業を16−8で下し、全国制覇を果たした。その年、戦後初の全国大会では決勝戦で●田中に0−6で無念の敗退。準優勝となった。

花園へ

 現在、全国大会出場校は51校で、県代表になれば出場できるが、終戦後、昭和25年までは8校、昭和31年までは16校だったので、西近畿代表にならなければ出場できない厳しい状態だった。
そのなか兵庫高校は昭和29年度・30年度・32年度・33年度・37年度と出場している。

 平成2年全国高校ラグビー大会70周年のとき、多出場校として13回出場の神戸二中・兵庫高校が表彰された。
国民体育大会は当時8校出場で、なお厳しいなか、昭和32年に出場を果たしている。

定期戦

 神戸一中・二中の定期戦は昭和6年度(創部3年目)に始まり、戦争で中止になった昭和19年を除いて脈々と続いており、平成23年で80回をかぞえる。
昭和43年より定期戦は学校行事として全スポーツで行われることになり、現在に至っている。春は野球、秋はラグビーをメイン競技としている。

 それまでのラグビーの定期戦は、全校生応援のもと、12月の第1日曜日に行われていた。戦前は、東遊園地グラウンド(現市役所の南側・今は公園になっている)で行われていた。全校生徒が湊川神社に集合し、ブラスバンドを先頭に元町通りを行進し、東遊園地に乗り込んだ。神戸の早慶戦といわれ、新聞も大きく取り上げ、市民の観戦者も多かった。

 戦後は、東遊園地グラウンドが使えなくなり、西宮球技場で行われた。現役戦・OB戦はもちろん、二軍戦・超OB戦と4試合も行われた年もあった。
学校行事となってからは、ウィークデーの開催となったので、OBも集合できず、現役戦のみになって現在に至っている。

 ゲーム終了後は、両校の校長・教頭・部長・OB・現役が相集い、レセプションが行われている。これは定期戦が始まって以来、必ず行われている。ノーサイドの精神で和気藹々、楽しい集いとなっている。両校の部歌斉唱で締めくくる。
平成13年までの成績は、神戸二中・兵庫高校の41勝28敗1分けとなっている。

 立派な大きな優勝カップがある。昭和6年定期戦開始の年に作られた。一中・二中のOBの●金で、製作費は200円(当時の200円は大変な高額)たった。カップに円い台座があり、毎年の戦績を貼っていっている。一台座が満杯になり、二台座目も満杯になったとき、三台座では格好がつかないと、楯を作った。楯は第1回目からの戦績を全部貼ってある。表の面は50回で満杯。現在裏面が使われている。まだ余地はあるが、二台目、三台目と続いてゆく。定期戦は永遠だ!!